2010年07月13日

情熱的で陽気な外国人監督 ボビー・バレンタイン

助っ人外国人と呼ばれることはほとんどありませんが、外国人監督も、外国人選手に劣らず、日本のプロ野球に大きな影響を与えています。

私の印象に残っている外国人監督を挙げるとすると、まず、ボビー・バレンタインを挙げることができます。

何がそんなに印象に残っているのかと言うと、その陽気さ、楽天的なところ、常識にとらわれない選手起用法でしょう。

1995年にはじめてロッテの監督をつとめたシーズン、複数の選手が病気によって離脱するなどしたこともあって、4月にいきなり10連敗以上したことがありました。

その時、ふとスポーツニュースを見ていると、試合前に、バレンタイン監督が笑顔で陽気に選手たちや取材陣に声をかけていました。

「よくこんなチーム状態のときに、陽気に振舞えるものだな。」と思いました。

と同時に、これとは対照的に、長期低迷状態にあった某人気球団の監督の、なんとも暗い表情を思い浮かべたものです。

そんなバレンタイン監督の影響なのか、その年のロッテは、いつになく明るく、選手たちがのびのびとプレーし、自分の力を発揮していたように感じました。

ロッテは、出だしこそ躓いたものの、伊良部、小宮山、ヒルマンを中心とした投手陣を擁し、シーズン中盤から追い上げ、首位を走っていたオリックスについで2位となり、久しぶりのAクラス入りを果たしました。

もちろん、監督が明るく陽気に振舞ったからと言って、試合に勝てるものではないでしょう。

しかし、この年のロッテは、それまでのロッテとはあきらかに違っていました。

そのひとつが、当時オリックスにいた、イチローに対する投手陣の攻め方に表れていたと思います。

その年、ロッテの投手陣は、他の球団と違って、イチローに対する攻めかたをかなり研究していた節が見られました。

そのため、ロッテとの試合では、イチローにしては珍しく三振するシーンをしばしば見た記憶があります。

チームとしてのサポートのありかたなど、それまでのロッテとはあきらかに違っていたのだと思います。

そのきっかけのひとつは、やはりボビー・バレンタインが監督になったことだろうと思います。

残念ながら、そのシーズン限りで、バレンタイン監督は、ロッテの監督を辞めることになりました。

しかし、2004年に再びロッテの監督に就任すると、翌2005年に、日本シリーズを制覇しました。

この年のロッテは、今江、西岡などの若手を積極的に起用し、ホームランバッターではないが、勝負強く、つなぎのバッティングができる、サブローを4番に据えるなどして、長打力はそれほどないが、スピードとつながりがあって、どこからでも得点できる打線を編成していました。

バレンタイン監督は、これまでの常識にとらわれず、チーム状態にあわせて、選手それぞれの個性を上手く引き出し、ひとつのチームにまとめていたという印象があります。

「うまいなあ」

仰木監督にも同じことを感じましたが、バレンタイン監督の選手起用法に関しても、同じように感じました。

ボビー・バレンタインは、陽気で、情熱にあふれ、選手の個性を上手く引き出し、チームをまとめることができる、外国人監督でした。



ボビー・バレンタイン

1995、2004〜2009  ロッテ

posted by 野球少年 at 07:19| Comment(0) | 外国人監督編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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