2011年03月02日

日本にベースボールを持ち込んだ助っ人 ウォーリー・与那嶺

与那嶺要(ウォーリー・与那嶺)は、千葉茂、川上哲治等とともに、巨人の黄金時代を築いた助っ人外国人選手でした。

与那嶺要は、ハワイ移民の日系二世。

一時、アメフトの選手として、サンフランシスコ・フォーティーナイナーズに所属。

しかし、怪我の為に断念。

その後、野球に転向し、マイナーリーグでプレーしていたそうです。

1951年に巨人に入団。1960年までプレー。

その後、中日で1962年までプレー。

本場アメリカ仕込みの走塁、スライディングを見せ、日本のファンを驚かせたようです。

ホームスチールを11回記録。

おもしろいですね。

1954年には、124試合に出場し、477打数、172安打、ホームラン10本、69打点、打率.361という成績を残し、首位打者に輝いています。

ちなみに、この年(1954年)のホームラン王は、青田昇。盗塁王は、吉田義男。最優秀防御率、最多勝利投手は、杉下茂。新人王は、広岡達朗。

往年の名選手が揃っていますね。

与那嶺選手は、首位打者を三度獲得し、MVPに一度、ベストナインに7度選出されています。

通算成績は、選手生活12年、1219試合出場、4298打数、1337安打、ホームラン82本、打点482、打率.311、盗塁163、四球522、三振553。



与那嶺要は選手として引退した後も、コーチ、監督として、長年にわたって日本のプロ野球で活躍。

中日ドラゴンズでは、1972年から1977年まで監督を務めました。

1974年には、巨人のV10を阻止。

チームを20年ぶり2度目の優勝に導きました。



私個人は、与那嶺要氏の現役時代はもちろん、監督時代も直接知りません。

ただ、たしか、梶原一騎(今話題の『タイガーマスク』の原作者。念のため。)のアニメ『巨人の星』か『侍ジャイアンツ』に登場していた記憶があります。

あと、与那嶺氏に関して、個人的に印象に残っているのは、王貞治氏とのエピソードです。

当時、少年だった王さんが、後楽園球場に野球を観に行った際のこと。

試合終了後、ボールにサインをしてもらおうと、球場の外でジャイアンツの選手が出てくるのを待っていたそうです。

他の選手が振り向いてもくれない中、与那嶺選手は、王貞治少年の前で立ち止まり、ボールにサインをしてくれたそうです。

王貞治少年は、大変感激し、そのボールをその後も大事に持っていたそうです。

王選手は、長嶋選手とともに、ファンをとても大事にし、時間の許す限り、ファンのサインの求めに応じていたそうですが、そのひとつのきっかけが、少年の頃、与那嶺選手にサインをしてもらったことにあったそうです。



1994年に、与那嶺要氏は、その王貞治氏とともに、野球殿堂入りしています。




与那嶺要(ウォーリー・与那嶺)

1925年6月24日生まれ
ハワイ州マウイ島出身、ハワイ移民日系二世
175cm、82kg
左投げ左打ち
外野手

選手歴
1951〜1960 巨人
1961〜1962 中日ドラゴンズ

コーチ、監督歴
1963〜1966 中日ドラゴンズ
1967〜1969 東京オリオンズ、ロッテオリオンズ
1970〜1977 中日ドラゴンズ
1978〜1980 巨人
1981〜1982 南海ホークス
1983〜1984 西武ライオンズ
1985〜1988 日本ハムファイターズ


posted by 野球少年 at 20:41| Comment(0) | 外国人打者編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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